コーヒー豆は作品か?

今日は16時にお店を閉めて、コクウ珈琲さんで行われた「4人の焙煎」というイベントに遊びに/学びに行ってきました。

一番印象深かったのは、「自分の焙煎した豆を作品(アーティストが創るような)と思うか?」という文脈で、珈琲屋のみなさんが「作品だとは思わない」と語られていたことでした。
おそらく、みなさん謙遜してそう言われていたんだと思うのですが、僕はなんとなく「ほんまにそうかなぁ」と思ってしまったのです。
もちろん、「仕事としての焙煎」という意味において、作業的に(ルーティンとして)焙煎しているというところがあるから、作品なんて大袈裟なことのように言えないというのが珈琲屋さんたちの言いたかったことなんだと思うのです。(コクウ珈琲さんはアーティストが魂を込めて作品をつくるほど、自分の焙煎には魂がこもっていないという風な表現をされていました)

しかし、彼らはそれぞれ焙煎のスタイルを確立するまでにたくさんの失敗を経験して、試行錯誤を繰り返して、ようやく作業的に焙煎するというところまでたどり着いたはず。しかも、ただ焼くだけじゃなくて、どういう味を出したいかイメージして、それを表現しようとそれぞれ焙煎してる。
僕にはどう見ても、彼らは立派なアーティストで、焙煎された豆は作品に見えてしまう。

でも、自分の焼いた豆を「私の作品です」というのはなんかダサい感じもするし、そう言いたくない気持ちも分かるので、僕も心の中では「自分のコーヒー豆は自分の作品やぞ」と思っておこうと考えた帰り途でした。

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