(I can`t get no)Satisfaction -前編-

突然ですが、みなさん、サブスクやってますか?音楽の。SpotifyとかApple Musicとか、あぁいう定額制配信サービスのことです。


私はというと、どれくらい前からなのかもう忘れましたが利用しています。それはもう、毎日のように。掃除、洗濯、サブスク。焙煎、抽出、サブスク。セックス、ドラッグ、ロックンロール、サブスク。


サブスクを始めた時は、それはもう興奮して、色々と聴きまくりました。邦楽に弱いとかワールドミュージックに弱いとかはありますが、月額1000円未満であれもこれも聴ける。もうCD買わんでいいやんと。個人的にはMDが登場した時くらい革命的でした。


先にも書いたように今でも毎日使っています。友達から教えてもらったアーティストやラジオで流れて来た楽曲を聴くには申し分ない。しかし。前から薄々感じてはいたのですが、最近確信したことがあります。


それは「なんか物足りない」ということ。サブスクで音楽は聴ける。でも、それで感動した試しが私にはない。心が動くまでいかない。I can`t get no satisfaction.


このふわっとした物足りなさについて、ここのところずっと考えていたんです。皿洗いしながら、ハンドピックしながら。それは音質的な問題なのか。多分それもあると思います。いつかのどこかで読んだ記事では、配信サービスでの楽曲はレコードやCDに比べるとカットされている周波数があって、なんかこう音的にサッパリしていると。なるほど、確かにそうかもしれん。


しかし、例えば私がどこかの店に入って、そこには客席から見えるようにヴィンテージの真空管アンプとプレーヤーとスピーカーが配してあって、サックスが聴こえて来て、「あぁやっぱりコルトレーンはレコードで聴くに限るナァ」とか偉そうなことを抜かしていると、店主がiphoneをいじって選曲しているのを目撃する、なんて由々しき事態は起こらないとも言えない。それほどまでに人間の知覚なんぞ頼りにならないものだと思います。少なくとも私の聴覚はそんなもんです。


では音質が本質的な問題ではないとすると、物足りなさはどこから来るのか。レコードやCDがいいっていうのは気のせいなのか?気のせいだとしたらなんかこう、寂しい。やっぱりレコードが最高と胸を張って言いたい。いやでも待てよ、サブスクがなんか物足りなく、レコードやCDが良いのはつまるところ「気のせい」なのではないか。これが今のところの僕の答えです。こう書くと身も蓋もないようですが、でも、この「気のせい」というのが結構重要なポイントなんじゃないか(少なくとも僕にとって)と思えて来たのです。


思いの外長くなって来て、こんな文章を貴重な時間を割いてまで読んでくれる人がいるのか不安になってところで続きはまた次回。どうも文章を書くとつい回りくどい表現をして、その結果文章が長くなるクセがあって、個人的には途中で「もうやめよかな」と思うことがあるのですが、そういうのも自分の個性だと受け入れ、諦め、このままいくこととします。そんな感じで始まりました、新コーナー「予備のボタンはだいたい無くす」。どうぞお付き合いください。


文:mame

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