(I can`t get no) Satisfaction -後編-

前回の続き。

サブスクは便利この上ないがなんか物足りなくて、CDやレコードはやっぱり良いと感じるのは「気のせい」なんだと前回書きました。では、この気のせいとはどういうことなのか。これが意味するのは、サブスクもレコードも結局大差なく、"レコードで聴いている"いう意識だけがその違いを生じさせているということではありません。もっと根源的なもののような気がします。

私の一つの結論はこうです。サブスクとレコードの(感じ方の)一番の違いは、時間性の有無ではないか。言い換えると、物語性の有無ではないか。時間性という日本語が正しいのか分かりませんが、このまま続けます。

サブスクには時間性がありません。音楽を聴きたいときにスマホやなんかでネットにアクセスして聴くでしょう。それはあまりに瞬間的に行われて、再生が終わるとまた何事もなかったかのようにスマホの画面から消えてしまいます。その情報にアクセスするまではその音楽は(自分の前には)存在せず、アクセスした後はまた眼前から消えてなくなる。そういう意味での無-時間性。テクノロジーに弱い私なんかはもうこの宇宙的なスケールが、意味わかりませんが。

一方で、CDやレコードという媒体には時間性がある。例えば、今私は部屋でこれを書きながらJoni Mitchellのレコードを聴いています。このレコードはどんなものかというと、昨日岐阜の中古レコードショップで見つけ、買うべきか頭を悩まし、3回くらいレコード箱から出したり引いたりした挙句購入を決め、何と無く妻に言い出しにくかったので妻が最近ラジオで聴いてよかったというThe SmithのCDも一緒にお土産に買ったというレコードです。冬っぽくて今の時期にコタツで聴くには最高。こんな感じで、レコードやCDってその媒体自体に時間の流れがあり、物語がある。もっと言えば、このレコードは中古なのでその前に所有していた何処のだれかのわからない人の物語も詰まっている。そういうのって良いですよね。

話を戻すと、「気のせい」の気は、気持ちの気。気持ちは時間性のあるものによって動かされます。例えば、自分の子どもが世界一愛しいと思う気持ちは、その子と一緒に過ごして来た時間やそれに伴って生まれる物語によって、時間をかけて確固たるものになって行きます。音楽も一緒だと思うのです。レコードに針を落とす時、その盤にまつわる記憶が蘇る時があります。レコードやCDが帯びた時間とか、物語とか、そういうものが気持ちを動かすのではないかと。

こうして書いてみると、物質を礼賛しすぎているような気にもなってきますが、もちろんサブスクはサブスクで素晴らしいことも一応付しておきます。それは情報としての音楽として素晴らしい。あくまで情報の域を出ないという話。情報で心は動かないというのが私の持論です。なので、みなさん好きなCDとかレコードとか買いましょう。アーティストの応援にもなるし(サブスクはかなりメジャーにならないと金にならないという話を聞いたことがある)、何より心が豊かになります。

最後に、タイトルの(I can`t get no)satisfactionは、ローリングストーンズがオリジナルですが、私はDEVOのバージョンが一番好きです。

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